熊本城-日本三名城森の都 熊本は,肥後五十四万石の城下町。戦国武将の加藤清正の築城の熊本城は,松本城,姫路城と並び,日本三名城の一つにあげられています。完成は 1607(慶長12)年。城郭の広さは約98万平方メートル(東京ドーム21個分),周囲5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで,美しい曲線で築かれた石垣と,自然の地形を巧みに利用した高度な築城技術が貫かれています。 ◆加藤清正(かとうきよまさ) 永禄5年(1562年)~ 慶長16年6月24日(1611年) 加藤清正は,秀吉と同じ尾張国(おわりのくに)生まれで,秀吉とは双方の母親が従姉妹同士だったという説もあります。 実子がなかった北政所(おね)は彼の名前の虎之助から「お虎,お虎」と呼んでかわいがったということです。 ★,'*:..,.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~. >>>熊本城の見どころ-天守閣 ◆天守閣と天守閣に展示されている鎧 日本三名城のひとつ熊本城は,加藤清正(かとうきよまさ)が慶長6年(1601年)から7年の歳月を懸けて築城したものです。 大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49,櫓門18,城門29を数え,城郭の広さは約98ha(東京ドーム21個分),周囲約5.3kmにも及ぶ豪壮雄大な構えで,清正流石垣と呼ばれる優美な石垣と,自然の地形を巧みに利用し築城されています。 ▼ 巧みに積み上げられた石垣の上に構える天守閣。茶臼山の最高所、標高50mの天守台に築かれ、大小2つの天守からなります。最上階からは、遠く阿蘇の山並みが一望できます。 大天守は外観3層内部6階地下1階で、石垣の上に大根太を張り出して建物がその上に乗り、どっしりした印象を与えます。四面に優雅に反った千鳥破風(ちどりはふ)を配し,最上階の南北には唐破風(からはふ)を据えています。 現在の天守閣は昭和35年(1960年)に,総工費1億8,000万円をかけて,鉄筋コンクリートで外観復元されたものです。 >>>>>>熊本城の石垣 -武者返し >>> 転化一流と名をはせた熊本城の石垣は「清正流(きよまさりゅう)石垣」「扇の勾配(おおぎのこうばい)」「武者返し(むしゃがえし)の石垣」などと称されます。 清正は穴生衆(あのうしゅう)と呼ばれる近江の石工集団を使い石垣を積んだと言われています。下は30度ほど緩やかながら,上に向かうに連れて角度は高くない,先端は75度の絶壁となっています。その技法は「打ち込みハギ」と呼ばれ,石を叩いて積みやすく加工し,石と石の間には割り石を打ち込みより堅牢になるように,また手がかりを少なくし登りにくくする工夫をした積み方です。 大小天守の石垣の境目は,小天守石垣は大天守石垣に寄りかかっています。これは,大天守の石垣が完成したあとに小天守の石垣が積まれていることを,物語っています。 大小天守の石垣の曲線を比較すると,小天守の方が急な角度で立ち上がっています。 両者の隅石(角の石)を比べると,大天守が同じ位の大きさの石を積んでいるのに対し,小天守は長方形の石を交互に積んでいます。これを算木(さんぎ)積みと言い,より急角度な石垣を積むことができるのです。 | HOME |
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